左顔面膨張
退院した昨日よりも今日の方がひどいことになっております。
退院した昨日よりも今日の方がひどいことになっております。
悪性腫瘍の最後の手術から12年が経ちました。
備忘録です。
術前検査を終え、一旦自宅に戻って洗濯して干したら、今度は、健康な奥歯の神経を処置するためかかりつけの街の歯医者へ向かう。両方の病院が自宅から徒歩3分程度の距離だからこんなことができるわけですが、こんなことするの初めてだけど。
受付してしばらくして診察台へ。
歯茎に完全埋没の最後の親知らずを抜く前に、オペに必要な術前検査と、奥歯の神経を抜く必要がある。
(はてなブログから転載です。)
小林麻央さんが亡くなった。
ブログを読んで応援してました。悲しい。残念です。
昨日私も定期外来でがんセンターに行っていた。麻央さんのブログの更新がなかったから心配していました。
……お疲れ様でした。心残りいっぱいだと思うけど、どうかどうか安らかに。あなたに元気と勇気をもらった人はき数え切れないほどです…本当に悲しいなぁ。
今日もあまり調子が良くなかったけれど、買い出ししないと今週困るので母と出かけました。その後家に戻ってぐったり。
プロフィールにも書いているように私がネットを本気で使い始めたのは仕事ではなく、自分が罹った肉腫について調べるためでした。
ずーっと自分のなかだけで葛藤して葛藤して葛藤して来たけど、ちょとだけ外の空気を入れるつもりで窓を細く開けたら、風が考える以上のものを運んで来たようです。
私にとっては職場で感情を抑えきれず涙が出たことが窓を細く開けることそのもので、同僚が通院を進めてくれた。それが一つ目の風が運んで来たものだったのかもしれない。病院に行ってからも自分のなかだけでなんとかしたいという気持ちだったけど、窓を閉め忘れていたのか、風はその後もいろいろなものを運んで来ているようで……Webでの古くて新しい出会いまで運んで来てくれました。
怪談話やオカルトやらスピリチュアルだ、愛の天使だとか嫌いじゃないがどこか覚めた目で見ている。でも南方熊楠も研究していた縁は信じられるような気がしてます。
先日、ずっと私を診察してくれている肉腫の主治医に検査の日程変更ができるかどうかの相談と現状の報告に行ったら、「この前の受診のカルテには精神的に安定しているって書いてあるけど、大変だったんだね、すみません、私ちゃんと診てませんでした」と言われました。っていうか先生はがんの専門医ですから。医者としてのプロ意識なのか先生の優しさなのか、休職中に検査するのは難しいみたいだけど6月にまたお会いしましょう。
自分の手の中にある「あたたかい縁」をもう一度見直して、私もこれらをあたためていくのにゆるゆるとでも元気にならないとなあ。
母は80歳を超え、父を送ってだいぶ老けた。おまけに寂しいみたいで、非常に物哀しいことを言う…その物哀しさは身内にしかわからない謎かけのようなもの。
その母が自身の叔母のことばかり話し、見舞いに行きたいそぶりを見せる。また母の妹で私の叔母が全盲なのだが、その私の叔母の見舞いも行きたいようで、先日クルマで出かけた。
二人とも老人施設に入居している。施設は長兄も入居しているからだいたいの感じはわかるが、なんだかかなり滅入ってしまった。
その理由の大部分は、二人とも面会の間に涙ぐんだからなのだが、まあそれだけでもない。
あんなに聡明で年老いても美しかった大叔母が、ちんまりと白髪の人になりうまく言葉が出ず、盲の叔母は行った途端にウチに帰りたいと泣かれたら気も滅入ったのだけど、いつかは母も私もこうなるのかと思うと、もうなんだかどーんと気持ちがしずんだ。
最後まで喧嘩したり、看護婦さんに冗談言って他界した父はラッキーな部類なんだろう。しかもあんなにグチグチ言っていた母に寂しさまで残していったわけで上出来だ。
人生50年なら私は最晩年だ。
くだらないことで悩んでいる暇はないのだろうが、いかんせん壊れている心はなかなか言う事をきかないのだ。
3月になれば、たぶん、少しは落ち着くと思いますが忙しくやってます。
まあ元気です。
先日、年に3回のMRI検査のため久々の病院へ。
毎度この時期はそうなんだけどおひな様が飾ってあって、暗くなりがちな病院も赤い毛氈やら桃色のつるし雛などで華やいでいました。今年の秋には新しい施設に生まれ変わって、少し離れたところへ移転です。築地の国立がんセンターには展望風呂があるらしいのですが、県立がんセンターにもあったらいいなあ(勝手な要望)。MRI検査はもう数えきれないくらい受けたけど、次回の検査でこのマシンに撮影してもらうのは最後。吸い込まれる穴の上に「Pianissimo」と書いてあるくせに轟音で動くこのMRI。お世話になりました。
相鉄線に乗って横浜駅で乗り換えようとすると、改札のところに盲導犬と歩く目の不自由な初老の男性がいらっしゃいました。盲導犬もいるし大丈夫かなあ?と思っているとなんだかおかしな壁の方向へ進んで行きます。歩いている他の人も見ていて心配そう。ちょうど帰宅ラッシュも始まっていて通路は人で溢れていたのでどこまで行くのかと声をかけると、ちょうど自分も行くJRに乗換えたいというので一緒に行く事にしました。自分は男性の右側に立って歩いたのですが「すみませんが、良かったらあなたの左肘のところにつかまらせてください」と言われました。ああ、こうやって歩くんだと初めて知りました。
エスカレーターも便利だけど乗り降りのタイミングは難しいし、連絡通路は便利だけどハンデのある人にはわかりにくいし説明もしにくい。なにより人の数が多すぎてまっすぐ歩く事も出来ない。当たり前のように歩いていたけどハンディを持つ人には大変だよなあと感じました。いくら優秀な盲導犬がいたって難しい道。ほんの短い距離なのに。京浜東北線のホームに上がる階段の下で別れました。男性には「お気をつけて」と言って、盲導犬君には「頑張ってね」と言いました。盲導犬君はちょっと悲しそうな申し訳無さそうな、へこんだような目をしていました。自分がもっとしっかりしていないばっかりにごめんなさいと言わんばかりの表情。君のせいじゃないよ、人が多すぎるんだよ、頑張って! とナデナデして抱きしめてあげたくなりました。でも彼(彼女)は仕事中な訳で、心の中で言葉をかけて別れました。
後ろ向きの考えかもしれませんが、誰の為にも優しい町づくりには限界があります。「ハード」でカバーできなきゃ「ハート」でカバーすればいい。ただお手伝いのタイミングやどこまでお手伝いをしていいのか、始めるタイミングとやめるタイミングが難しいかなと思いました。相手はハンディはあっても立派な大人でプライドもあるわけで……あの盲導犬のなんというか、仕事のプライドをちょっぴり傷つけられたような表情でそんな事を考えたのでした。
何もしなければこんな事を考える事もなかった。家族にハンディのいる人間でもです。大元を考えれば「行動をすると思考が生まれ、次の行動に繋がる」そんな事までも考えた小さな出来事です。
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