印象もないのに忘れない記憶
自分の出た高校の名前がラジオから流れて来た。こんなに暑くて嫌というほど実感していたのに、高校野球予選の話題は改めて今が「夏」だということを思い出させる。そして高校を思い出す時に一緒に浮かぶぼんやりとした記憶。それがまた思い浮かんだ。
通っていた高校はJRと私鉄が交差する大きなM駅の隣、小さいけど乗降客の多い私鉄MS駅が最寄り駅だった。Sちゃんと学校から隣の大きなM駅まで歩いた事がある。その駅のそばで売っている大判焼きの「あずきチーズ」というミスマッチ商品を買って食べるのだ。SちゃんオススメのB級グルメ。甘くてしょっぱくて美味しいよねと言っていた。そして本音を言えば私はこの大判焼きをそれ程は美味しいと思っていなくて、まずいとも思わなかった。彼女はバス通学、自分は電車通学だったから、家はすぐ近くだったのにそのM駅で一旦別れて帰る。うまく行くと地元の駅で一緒になり、家の側まで行くバスに二人で乗り、そしてバス停からは私の自転車で二人乗りして帰った。さらに本当のところは彼女とはそんなに仲良しでもなかった。実際普段はほとんど一緒にいなかったし女子特有の「群れ」も全く別だった。だから彼女との記憶はそれくらいしか無い。何の話をしたかも覚えてなくて、ただ細切れの記憶だけが残っている。M駅までの道と「あずきチーズ大判焼き」の匂い、二人乗りのずっしりとしたペダルの重み。それから、白い薄紙をクシャクシャにしたような頼りない彼女の笑顔と女の子らしい声のトーン。
彼女の卒業後の進路も知らないし、興味も無かった。ただ何故か高校時代と沿線の話題になると、必ず彼女と大判焼きが記憶の隅に蘇った。それほど美味いと思っていなかった大判焼きと仲良しでもないSちゃんとの記憶。
そのSちゃんは病気でだいぶ前に亡くなったと最近聞いた。詳しい事は知らないけど。病気がちというイメージは無かったけど、見た目は後ろの景色が透けて見える感じの色白で細い女の子だった。
最近父と話していると、気がつけば父が子供の頃の友達の話題になっている事がよくある。父の記憶は会話やその時の情景まで詳細だ。そしてそれを話すときの父は生き生きして、むしろその記憶が頭の多くの領域を専有している気がする、年を重ねる毎に。それに比べて自分がずっと持っているこの記憶は断片的で、匂い、重み、音声は蘇っても、何の話をしたかなどは全くと言っていいほど思い出せないのだった。それでも、この記憶はなんだか自分をホッとさせきた。なぜだろうか。
自分には何ら影響を及ぼさなかった人物と美味しくもない大判焼きの味とかおり、制服と電車とバスと自転車と。それほど興味をそそらない物事ばかりの記憶が時々自分を癒しているらしい。
Sちゃんが亡くなったと知って、記憶の中のSちゃんが少し鮮明になり、血色が良くなったような気がした。
Sちゃんの声は斉藤由貴さんの声をもっと弱くしたような声でした。Sちゃん、また時々思い出すよ。
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