伊勢神宮は荘厳というより素朴でした
鉄道のテンプレートはなかなか気に入っていたのですが、読み込みが重いので早々に外してしまいました。
伊勢神宮から信州経由の旅を終えて1週間。はやいなぁ。
職場に行けば夏の旅なんて遠い昔のように思います。忙しくしてますよ、今日も野暮用で用意出来たら出かけねば。
忘れないうちに伊勢神宮に行ってみての感想です(超長文だよ)。
画像をクリックすると大きくなります。
もともと人間観察が好きで、人間の考え方に大きな影響を及ぼす宗教に興味があり、たまたまだったけど学校も宗教関係だったから「宗教学」が必修だったりして、本人無宗教ながらいろんな角度から宗教について考えるチャンスがありました。その後大病して肉体的にも精神的にも厳しい時間があり、スピリチュアルなことに傾倒したこともありました。今はかなり冷静に宗教やスピリチュアル、オカルトに関して考えられますが、そういったものにコントロールされてしまう人の気持ちはわかります。本当に参っているときは何かにすがりたいものです。
宗教関連の美術や建築を眺めるだけでも楽しいので、これまでは壮麗な建物や装飾、仏像など重々しい感じの雰囲気に心惹かれ印象づけられる事が多かったのですが、今回の伊勢神宮に関してはそういった視覚的インパクトはほぼ無いに等しい、素朴でせいせいとしたとでもいうのでしょうか、青というか透明というか……とにかく風が通り抜けるような雰囲気だけどどこかあたたかいような感じを受けました。神社仏閣でこういう感じを受けた事は今までなかったかもしれない。
神様の存在はいる、いてほしいと個人的には思っているのですけど、本音を言えばわかりません。インターネットがこれだけ普及し、ほぼ毎日そういうスピリチュアル系のサイトも読んでそうだよなあ、と思う事もあるけれど、道徳的、道義的……自分の心をただすために読んでいて、神の存在とは出来るだけ切り離して考えています。そういったサイトで良く目にするのは、神は自分の中にいるということです。これには自分も納得している部分ではあったのですが、伊勢神宮に参拝して「そうかも知れない、きっとそうだ」と思うようになりました。
うまく表現できないのですが、仮に神様なんて天照大神も全知全能の神も嘘っぱちだったとして、でも、伊勢神宮には神がいるように思いました。壮麗な建物も重厚な彫刻も、神と言われる姿をした彫刻もありませんでしたが、1500年もの間、姿も見えない神様のために朝夕のご飯を作って差し上げたり、年間1500回以上の神事を行い続けているというその行動はもはや神が生まれ出るには充分過ぎる年月ではないでしょうか。個人的な欲のためではなく粛々とそれらをこなし続ける……「継続は力なり」「雨だれ石を穿つ」とでも言うのでしょうか……連綿と続けられて来たその行動、重ねられた時間を思う時、続けるという意志を含め、その行為こそ神なのじゃないかと思えたのです。
壮麗、荘厳な装飾もないお社の数々を歩くと、そこには心を震わせる波動とかそんなものは私には感じませんでしたけど、自分が立っているこの場所が、そういう気持ちをずっと持って守られて来た事に感動しました。
私がこれまで訪ねた荘厳な装飾や建築物を擁す多くのお社やお寺は、こういう気持ちのカケラ(それが純粋かどうかはわからない。あるいは変化して欲望だったりする)が重なり巻き込んで美術品と言う形でまとわれたのかもしれないとおもったのでした。いえ、美術、装飾を否定しているのでは決してありません。ただ伊勢神宮に信仰(あるいは日本独特なのかもしれない)の原点を観た気がしたのです。
人が行って来た事、時間、プロセスと結果、それが神と同等の何かになる、そうならいいなと思うし、それならば出来るだけ自分の行うことは「良心」で決断、やっていきたいと感じた時間でした。
社会人を長くやって外で金を稼いでいると、何からなにまで値段が付けられているようで嫌になるのです。自分が楽しいと思う事でさえ、これでいくら稼げるようになるっていうんだ、無駄じゃないか……と虚しくなる事がしょっちゅうです。でも、そういう考えではない行動で時間が重ねられた土地を歩いて、自分も少し綺麗になった気がします。
とは言え、伊勢神宮であっても組織なので金銭的しがらみから逃れられるとはいえないでしょう……そんな事はわかっています。ただなんというか、やはり途方もない時間が経過しているにも関わらず、変わらないまま数々の社が(遷宮として作り替えられても)同じ姿で守られ続いているという事実に救われた気がしたのでした。
金回りが良くなったからここにコレをくっつけたら立派になるだろう、などという変化はなく、素朴な姿のまま20年に一度同じ姿で作り替えられるお社……次々に新しいスタイルを求め続ける今の生活からは想像もつかないことです。究極の Simple is Best 。
スピ系、オカルト系好きな私にはカルチャーショックでもあり、救われた旅になりました。
中学生のときから神社仏閣好きでいろいろと回りましたが、御朱印帳は初めて購入しました。伝統的スタンプラリーだと思います。海外にはこういう風習ってあるんでしょうかね。
素朴な信仰は山岳信仰も同じです。
山に登るとお社や祠がなくても、手を合わせたくなったり、自然と涙が出たり、先に逝ってしまった人たちの事を思い出したりします。まあ、単独登山が多いからかもしれないけど。ワイワイ楽しく登ったらそんな気持ちにならないかもね。
今回の旅の千畳敷カールはまだまだ雪がたくさんでした。
木曾駒ヶ岳を目指しましたが、稜線は結構な霧と風で登山は中岳で撤退しました。
岩につかまって、短い間だけ花を咲かせる高山植物に神や天使を見ることもできるのです。
綺麗でした。
山頂はまたリベンジしないとね。
« 寒いほうがマシ | トップページ | 最近活躍し出したもの »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- キンキンに冷えた空気が好き(2017.12.07)
- 富士山入山料徴収開始のニュースをきっかけに思う事(2013.08.03)
- 呪われた夏旅〜はじめに(2013.07.21)
- 横浜赤レンガ倉庫(2012.11.23)
- 「椰子の実」の秘めたるパワー(2012.07.28)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 明けましておめでとうございます。ココログがhttps対応になっていた(2020.01.03)
- 目覚めよの声が...(宮田八郎さんのドキュメンタリーも観たよ)(2019.11.09)
- 夏休み最後の日(2018.07.16)
- だめかもしれない……自分で自分の人生を切り開く(2018.03.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント