性格なんでしょうねぇ。結局出かけてきました。
落ち込んでるからとか疲れ気味だからとか言っても、ただただ家に閉じこもっていたら逆にどうかなりそうで、母と一緒にかねてから行きたいと二人で話していた所に出かけてきました。あれだけ鬱鬱としていたんだからゆっくり休んだらいいんでしょうけど、動かないと本当にダメになりそうな気がして。
出かけた目的地では色々な事を考えさせられました。頭の中がまだ整理できていない自分に感想が書けるほどの余裕はありませんが、自分のヘタレっぷりが恥ずかしくなったり、それでいて妙に冷静でいたりする自分を見つけたりも出来ました。
気持ちを整理できるようになったら感想を書きたいと思いますが、書けるのかな。自分の今の気持ち、見てきた作品、それを描いた人の状況や時代、それらが感情を揺さぶったことは確かです。
行った先は「無言館」。
無言館を知ってますか?
私は最近まで知りませんでした。
都心からはとても遠いです。長閑ですばらしい土地にあります。
そしてそこは美術館というよりも教会や祈りの場所に近いように思いました。
無言館は公式HPもありません。
訪ねて行った私たちには入場チケットのもぎった後の部分しかありません。チラシなどは無いのです。
無言館を紹介したページはこちら。あくまで簡単な紹介ページです。どのような場所なのか興味のある方は、色々な方々がブログやHPで紹介されていますので検索してみてください。
そして、せっかく出かけてここまで来たのだからと入った温泉にはこんなポスターが。
ああ、こういう入浴着があるんだなあと知りました。私も足を手術した後に初めて温泉に出かけた時は、周りの人にどう見えているのかと考えてばかりいました。今はほとんど気にしませんけど。この入浴着は乳がんの方向けですが、体の一部に傷を持つことになってしまった人が、少しでも気楽に温泉に出かけられるようなグッズが増えてくれるといいですね。そしてそれらが周りの人に充分に認知される事を願うばかりです。
入浴着についての詳細はこちらです。
出かけている間中、喉がおかしかったのですが、これでも気づいた事があります。
アレルギーみたいなのです。時々クシャミ100連発で鼻水が滝のように流れてました。アレルギーの症状の中には不定愁訴があります。このところの気持ちの落ち込みようの一端はアレルギーにも関わりがあるようです。もちろんこれだけじゃないだろうけど。思い切って方向性を変えて出かけてみたのも悪くなかったようです。
一度で色々なことは見えて来ないけど、自分なりに手探りでも前に進めるように頑張ろうと思います……なんにもしない、何も考えないこともしつつ。
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コメント
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無言館…。
私が初めて知ったのは、たぶんNHKの番組だったと思います。
その後、2005年2月に東京駅のステーションギャラリーで開催された「無言館 遺された絵画展」を観て、館主・窪島誠一郎さんの「無言館ノオト」を読み、長野・上田の無言館に行きたい行きたいと思い、やっと昨秋、現地に行きました。
静謐な館内。
どこからか聞こえてくるすすり泣く声を耳にしながら、絵に託したひとりひとりの当時の「想い」に自分の全ての神経を集中させました。…本当に身体がガタガタと震えるほどの衝撃でした。
無言館顧問の画家・野見山暁治さんは、「ここにある絵は、勉強中の画学生の絵です。未熟な絵です。…しかし、彼らの絵には邪念がない。真剣に真摯に描きたい人間の一途さが、あの暗い時世の中にあったんだという印象を受けたのです。
…彼らと対話していただけたら幸いです。」とおっしゃっています。
さらさんが、最近までご存じなかったのは意外な感じがしましたが、できればより多くの方にこの無言館の存在を知っていただきたいと思います。
投稿: 宇助坊 | 2010年9月27日 (月) 23時37分
>宇助坊さん、こんばんは。
実を言えば宇助坊さんは無言館に行った事があるのかな〜? と思っていました。やっぱり既に訪れていらっしゃったのですね。
扉をあけるまで、作品を見たら泣き出してしまうのではないかと思っていたのです。でもこみ上げてくる何かは感じましたが、私の場合は涙にはなりませんでした。
まだ巧く整理できていないのですけど、複雑な感情が湧いたのは事実です。
ただひとつ言える事は、戦争に巻き込まれた人間に幸福な人はひとりもいなかったという事だけでしょう。それは勝ったと言われる国の人間だって同じなのだと思います。そして、一秒一秒重なる時間のなかで確実に変わる事、変わらない事があることと、人間の強さと弱さを感じました。
考えが整理出来ない自分が歯がゆいですが、いま書ける事はこれぐらいかな。
鮮烈な印象としては、戦地から送ったというハガキに描かれた絵が、思いの他に明るくあたたかいものが多かった事です。検閲が入るからだとも思えますが、遠い故郷で自分を思ってくれる人々に、少しでも心配させまいとする心遣いが痛々しいほど伝わってきました。
愛情とはこうまで人を強くするものなのですね。
投稿: さら | 2010年9月28日 (火) 00時11分
続けておじゃまします。
いくらかでも気分転換になったでしょうか。
無言館のことは、残念なニュース報道が契機で知りました。
まだ出向いたことはありませんが、祈りの場にも似たようなところということは聞き及んでいます。
足の手術を経験されていたのですね。
存じ上げず失礼しました。
傷が残ると、生活が不自由になるだけでなく、見た目と他人に映る印象にも過敏になってしまいますものね。
入浴着は、「それをつけていると、傷があると自ら宣伝しているようなもの」という人もいるかもしれませんが、それを着ることで安心感が得られる人も確実にいると思います。よいアイデアですね。
投稿: Mikage | 2010年9月28日 (火) 19時54分
>Mikageさん、こちらにもコメントありがとうございます。
無言館。チャンスがあったら是非お出かけになってみてください。
>無言館のことは、残念なニュース報道が契機で知りました。
もしかして記念碑にペンキをかけられた事件のことですかね。
無言館の存在については、様々な主義主張を持つ人たちがいますから、その意志に沿わない人もいるという事ですね。展示物を見てどのような感想を持つかも様々だと思います。私は声高に反戦を唱えたいという気持ちにはなりませんでした。ただ自分が今立って生きている時間や時代は、このような歴史の上に成り立っていて、その地盤は自分が思うよりもろいものなんだ、自分はなんと幸福に生きていられているんだろうという思考を鮮明にする事はできたと思います。尖閣諸島問題で中国との関係が悪化している今、平和や日本のこれからを小市民の自分がもっと深く考えるべきなんだとも思い返しました。
新幹線なら上田駅からシャトルバスもあるようです。
のんびりするにも良い街ですよ。是非是非。
入浴着を知らなければ「あの人なに?」という目で見られる事もあると思いますから、もっと温泉/温浴施設でポスターや掲示などで啓蒙する必要がありますよね。第一タオルをお湯に入れたらダメという意味をきちんと教えられる人っています? 石けんの残留や汚れがタオルの布地は付着しやすく、入浴着はそういう問題も考慮した素材でできてるから大丈夫……ってきちんと理解してくれないと、「服着て入れるならタオルも浸けちゃえ」みたいな変な誤解も生じかねませんから。無知が一番怖いし、面倒なんですよね。
私の足は傷も目立ちませんし、それなりによく働いてくれてます。後はもう同じ病気にならない事を祈るだけです。
投稿: さら | 2010年9月29日 (水) 06時43分