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2010年8月15日 (日)

65年前の今日の父

今日は終戦記念日ですね。
でも今日を終戦としているのは日本だけで、9月2日に第二次世界大戦が終わったという認識が世界共通だということをつい最近まで知らなかったのでした。
この日は降伏文書に調印した日です。
15日は昭和天皇の玉音放送が流れた日で、日本国民に敗戦が伝えられた日ということになります。

父は終戦直前士官候補生で、間もなく訓練を終えて任官、海軍士官として出征という時期だったそうです。が、敦賀から広島に移動しようとした矢先に新型爆弾投下の知らせがあり中止になったのでした。広島への原子爆弾投下です。そして65年前の今日、上官から「日本は戦争に負けたらしい」と聞かされ、兵士という身分上(正確には任官前だから兵士ではないのだが)、アメリカ兵がやって来て真っ先に殺されるかもしれないから高地(つまり山の中)へ避難するよう指示が出たのでみんなで山の中に逃げて隠れたそうです。自分の身の回りの品(毛布くらいしか無かったそうですが)をまとめたリュックだけを背負って、食べるものもないのに、そんな真夏の山の中で生きていられるのか、もうその段階で信じられない気持ちになります。
1週間くらいして本部から招集の指示があり、山から出て指示された場所に集まったそうです。そこへ幹部の人間がきて「天皇陛下からのご指示」として総員解散が伝えられたそうです。総員解散とはいえ、毛布くらいしか手持ちのものはなく、この後どうすればいいのかと考えていると、幹部は続けて故郷までの列車は保証するとし、父は敦賀から宮城県に戻りました。
玉音放送を聞いたのはずっと後のことだったと言っていました。

広島にもう少し早く移動していたら、父は原子爆弾で死んだか、魚雷に乗って敵船に突っ込んで(いわゆる人間魚雷の訓練をしていたらしい)死んだかで、私は今の自分としては生を受けなかったでしょう。

玉音放送を聞いて泣いている資料映像をよく観ていたので、最初この話を聞いた時には違和感を感じたのですが、「戦争が終わったらしい」と伝えられて、着の身着のまま山へ逃げざるを得ないというのも、当時ラジオすらあまり無かった時代なので、そんなに不思議では無かったのかもしれません。そもそも原子爆弾投下のことも前述にあるように「新型爆弾が落ちて、なんだか凄い被害らしい」ということしか入って来なかったそうですから。

8月15日に戦争が終わったらしいと伝えられたからといって「ハイ、戦争おしまい」という訳には行かず、その後、食糧難が続き、日本はますます混乱して行ったのはご存知の通りでしょう。

憲法9条改正という意見や、責めてきたらやり返せ、日本に軍隊をという意見も考えるべきとは思いますけど、やっぱり私はいかなる理由があれ戦争は馬鹿な行為以外の何ものでも無く、正当化される理由は無いと考えています。憲法9条は素晴らしい内容だと指示しますし、日本にはその憲法の範囲内で動くための自衛隊があるので、これ以上の権利をもった軍は必要ないと考えています。
先の原爆の日の記念式典にアメリカ駐日大使が出席したことで、原爆投下は正当であったとするアメリカ人の意見にスポットが当てられましたが、原子爆弾投下に正当化の理由などは微塵もないと私は考えています。ただアメリカに原爆投下を決意させるほど、日本国全体が戦争に狂っていると先方に感じさせた事を想像すべきだとは思います。ちょうど今の北朝鮮が私たちに与えるイメージに似ているのかもしれません。放っておけば永遠に戦争をするだろうと気味悪がられていた国民の姿があったのでしょう。事実、特攻隊が突っ込んでくる時にアメリカ空軍パイロットは、日本兵のその眼差しをなにより恐怖に思っていたと何かで読んだ事がありました。西洋からみたら理解しがたい精神性……その中の悪い方向へ転んでしまった精神を見せつけられて、心底恐ろしく感じたのでしょう。

戦争に流れて行く経緯で、たぶん市井の人々は結局ほとんどなにもせず、またはなにも出来ないままに流されて巻き込まれて行ったのだと思います。
長いものに巻かれろと言いますが、その長いものは見極めるべきです。一度馬鹿な歴史を刻んでいるのですから、それを忘れず、事実を見つめて思い返し、意識しないと、またくだらない悲惨な長いものに巻かれてしまうかもしれません。

広島、長崎の原爆記念日、日航機墜落事故の日、終戦記念日……命について考えるきっかけを与えてくれる日は旧盆まで続きます。自分がこの世界に運ばれてくるまでの先祖がどのような世界に暮らしたか、想像するだけでも意義深いものでしょう。


おまけ。父は士官学校に入る前にも、戦時中に海運会社の船員として輸送船に乗っていて南方の海で魚雷にあたって船が沈んだ事があるんだそうです(民間船なのに)。溺れて死にかかった挙げ句、24時間以上瓦礫に掴まって仲間数人と一緒に日本の船に助けてもらったという経験があるのです。この話は小さい頃にも何度か聞かされていたのですが、「大海原で自分の乗った船が魚雷に当たって沈む」という話は子供心に大変恐ろしかったし、その後、また海軍に入ったという(たぶん入らざるを得なかった、と言う方が正しいのだろうが)事実に驚いたのでした。怖くて船に乗れなくなるという事は無かったようです……生きて行くためには選択の余地はなかったのでしょうけど。

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コメント

こんにちは。

ウチの母親も、終戦の年に目の前で近所の人が機銃掃射で撃ち殺されるのを目撃したそうです。
また、亡くなった父親から生前聞いて印象に残ったのは、当時もはや狂気を帯びた教員が学校で体力のない生徒を毎日殴り続けた結果、ひどい身体障害を負わせても平気でいた話ですね。父親によると、その同級生はまともに生活できないほどの障害を負い、若いうちに亡くなったそうです。後年、同窓会でその元教員に対して「あんたが彼を死なせた」と非難しても、「あの時は仕方なかった」の一点張りだったということです。こうしたことの方が表向きの戦争自体より、恐ろしいものに思えます。

こんにちは。

お父様のお話を興味深く読ませていただきました。
そして、その当時の状況や、どのようなお気持ちでいらっしゃたのか、もっとお話を聞かせていただきたいという衝動にかられました。

戦争の話題となるとウイスキー以上に話が長くなりますので控えますが、とにかく当時の話を語り継いでいかねばならない責務が平和を享受している私達にはあると思います。
そのためにも、戦争の「生き証人」である方々から直接お話を伺い、この先の日本を担う若者達に正しく伝えていかねば、いつかまた愚行を繰り返すのではないかという不安を払拭できないのです。

おじゃまします。2度目のコメントです。

>原子爆弾投下に正当化の理由などは微塵もないと私は考えています。ただアメリカに原爆
投下を決意させるほど、日本国全体が戦争に狂っていると先方に感じさせた事を想像すべき
だとは思います。

まさにおっしゃる通りだと思います。
昔、ある野球チームを熱心に応援していた縁で、平和資料館にも幾度か足を運びましたし、
原爆投下に至るいきさつを記した本も読みました。想像を絶する世界ということ、人類史上
最悪ともいえる残忍な戦法であったことはよくわかりましたし、先方の退役軍人たちがその
正当性を主張し続けていて、いかに心ない態度を取っているかということも、10代のうちに
知ることができました。しかし、ただ「酷い、かわいそう」で済ませてよいものかどうか、心に
引っかかるものがありました。退役軍人たちも原爆の持つ力は十分承知した上で発言し
ているはずで、そこまで思わせるまでの「何か」が日本側にもあったということにも思いを
めぐらせるべきということまで考えられたのは、ごく最近のことです。

聞くところによると、陸軍将校の一部は「我々はまだ負けていない」と頑固に言い張り、
本土決戦・一億玉砕による永遠の国体護持を目論んで、政府の「和平派」を一掃させる
クーデターの機会を、終戦前日までうかがっていたそうです。玉音放送の録音盤も奪い
取ろうとしていたため、当時のNHK職員が文字通り身体を張って保管した、と昨年の終
戦特集番組で放送していました。
それほどまで血迷っている人たちが権力の中枢にいた時代です、アメリカ側に与えた
恐怖心はいかばかりだったでしょう。あと、先にドイツが降伏したため、日本に的を絞り
やすい状況ができていたことも押さえておきたいポイントです。


それにしても、「終戦記念日」が旧盆の季節にあるということは、偶然とはいえ絶妙の
タイミングだと思います。お盆の時期にあるからこそ、今でも多くの人が関心を保ち続
けることができるのでしょう。もしこれが、ポツダム宣言をすんなり受け入れて7月初め
あたりに降伏していたら、あるいは世界にあわせて9月2日を終戦記念日にしていたら、
昭和が終わる頃には世間から忘れられていたかもしれません。


ところで、くもみちゃんは最近ご覧になれていますか?
お忙しいご様子のため、あまり番組のお話ではしゃぐのも失礼かしらと考え、遠慮して
おりました。今週は沖縄を放送するそうです、お時間があればご覧になってくださいね。

>cat's-pawさん、こんばんは。

機銃掃射の話は母から聞きましたが、小さな飛行機がやって来てダダダダダダッともの凄い勢いで撃ってきたそうです。撃たれた人は蜂の巣のようになって………と、子供の頃は夢にうなされそうな話をよく聞かされました。疎開するまでは横須賀に暮らした母は、横須賀で機銃掃射の攻撃を体験して、疎開先ではB-29の攻撃を体験してます(疎開先は座間で、基地が近いので疎開にならなかったと本人が言ってました)。こちらは大型爆弾が雨霰のように「ヒュー」と降ってくる、良くニュース映像で流れるあれです。

「あの時は仕方がなかった」ということは少なからずあるのかもしれません。あの時代は戦争反対をすれば非国民と言われて、憲兵に連れて行かれて最前線に送られたそうですから……もう、正常な思考では生き抜けない状況だったんでしょうね。人間の中には環境に左右されて残忍になれる芽があるということなんでしょう。
あの時代を抜けたあと、その方が自分のした事を心の底で本当の所どう解釈しているのかなんでしょうね。全てを時代のせいにしているのか、他に思う事があるのか………。

>宇助坊さん、こんばんは。

以前、横浜でお会いしたときにも知覧のお話をしましたね。

私の父は任官直前でしたので、戦地での恐ろしさはもう少し年齢の上の方々が経験されたのでしょう。実際父の兄弟である叔父は徴兵されていたようですし、父の一番上のお兄さんは、学生のときにプロレタリア文学に傾倒していた事から最前線に送られてしまい戦死したそうです。父はその訃報を受けた時の母親(私の祖母)の号泣が忘れられないと言っていました。

今の日本は児童や学生に対して戦争についてどれほどの教育をしているのか、未婚、子供無しの私にはわかりません。でも今や平和について考える機会も会話も減っているような気がしてならないのです。歴史は立ち位置や解釈の違いで取り方が異なる場合がありますから「原因」「経緯」などの難しいことでなく、その時の人々の悲しみを振り返るだけでも充分意義があると思うのです。そういう機会が夏の間にもう少しあってもいいとは思います。

>戦争の話題となるとウイスキー以上に話が長くなりますので控えますが

そうですね、とても深い話になりますものね。
私も今回のエントリの切り口を整理するのが難しかったです。いろいろな考えに波及して行ってしまうので難しいです。

>Mikageさん、こんばんは。

私も高校の修学旅行は長崎で資料館を訪れていますが、大変にショックを受けました。また被爆体験のある方から当時の話を聞く時間もあり、人の話であんなに涙が出たのは後にも先にもあの時だけです。

当たり前の事ですけど、結局戦争は経済に翻弄された国同士が適当な大義名分をあてがっただけの利権争いで、最終的には勝ったものの良いように結論付けされるだけで、物理的には何も生み出さない事のように思えます。(誤解のないように付け加えますけど「勝てれば戦争OK」というのではないです。)始めてしまえば傷つくのは一般の人々ばかりであり、終息するのが困難になり、終息後も混乱し続け、良い事なんて無いのですよね。戦争にしないことが最も重要なのです。
現在の日本は明らかに国力が下がっていて、日米関係も既に破綻し、アジアのリーダーは中国に移ってしまったという識者もいます。戦争に直結する事はほぼないとしても、決して今の幸せな時代は強いものではないのかもしれません。
安易な考えに走る人々が出ないようにする為にも、過去を振り帰るのは良い事だと思います。難しい事を考える必要はないと思うのです。

>昭和が終わる頃には世間から忘れられていたかもしれません。

戦争で日本は大きく変わりましたが、バブル時代にも何かが日本で大きく変わったように思えます。あの時期の前までは、夏休み後半のテレビは戦争や平和について考えさせられる番組がたくさん続いていたと思います。それを観て家族で放送後にいろいろと話した記憶があるのです。そういう風景も今ではあまりなくなってしまったように思います。

>くもみちゃんは最近ご覧になれていますか?

どう頑張ってもくもみちゃんには間に合わず、「和風総本家」から観ることになってしまってます。母親にも観てる?と聞かれるのですが悔しい〜! 今回はかたいエントリですが、基本ゆる〜いブログなので、どんどんコメントしてくださると嬉しいし励みになります。あまり肩肘張らずに気軽にコメント残して行ってくださいませ!
次の「空から日本を見てみよう」は見られるといいなあ〜。

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