ETCとか迎撃ミサイルとか
朝起きて寝ぼけた目でニュース見たら、市ヶ谷駐屯地にパトリオットミサイル準備の映像が流れていた。自分が生きている間に首都圏に迎撃ミサイルが配備されるようなニュース映像が流れるなんて、ちょっと驚いた。母の実家がある横須賀 汐入の横須賀基地からも日本海に向かってイージス艦が出港していた。
次のニュースは高速道路1000円のニュースで悲喜こもごもの人々の顔が映し出された。ETCは品薄でこれから取り付けるにもGW明けになるらしい。
少し前に自衛官の出した論文でいろいろな意見も飛び交ってた。彼の意見に反対する気持ちも賛成する気持ちもある。多くの人は「よくぞ言ってくれた」という気分だろう。自衛官という立場で、あのような理論を展開したのは、例えその理論の大半が正論であっても口をつぐまないといけないとも思う。だからこそ勇気ある行動と賞賛されたのだろうけど。そもそも戦争のプロセスなどは文章化できるようなものではなく、思惑とか情勢とかいろいろなものが絡まり合った状態で、歴史で説明されているよりもずっとずっと前からくすぶりつつ始まり、気づいたら戻れないくらいになってしまって展開する。そして結局は勝利した者がストーリーを完成させるようになってる。それがねじ曲げられていようといまいと。
真実は「勝者にも敗者にも、とてつもない悲しみと後悔を残しました」という一文だけなのに。
「不況だ、どうしよう」と不安を抱えても、少しでも笑顔でいたいと頑張っている人の様子と、迎撃ミサイルの映像に複雑な思いだった。
結局、自分の半径5メートルくらいのことしか凡人は考えられない。私も目の前の事をこなして生活するだけだ。
今月は友人知人の久しぶりの再会が多い月だった。ネットで知り合ったNさん、10年振りにあって食事をしたMさん、今日は学生時代の友人とランチを頂く。これまたもう何年も逢えなかったメンバーだ。
もし今、歴史の大きなうねりに少しずつ巻き込まれていたら、次にみんなと笑顔で逢えるのはいつだろう。でも結局は半径5メートルくらいの中で、一生懸命やっていくしかないのだ。エコのために私達凡人どもに出来る事は結構たくさんあるけど、人間が引き起こす戦争やら、サブプライム問題はどうする事も出来ないものなのか。
« 誕生した(BlogPet) | トップページ | 腹ぺこサタデー »
「ニュース」カテゴリの記事
- 物騒というか...(2015.08.23)
- どうでもいいじゃないか、割烹着の事なんて(2014.03.14)
- 何とも言えぬ気持ち悪さ(2013.07.06)
- ふ〜ん……(2012.11.03)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 明けましておめでとうございます。ココログがhttps対応になっていた(2020.01.03)
- 目覚めよの声が...(宮田八郎さんのドキュメンタリーも観たよ)(2019.11.09)
- 夏休み最後の日(2018.07.16)
- だめかもしれない……自分で自分の人生を切り開く(2018.03.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント