私がおかしいのでしょうか?
風のガーデン……今日も面白かったです。
泣き笑いというか。
倉本聰さんの作品はいくつか見ているけど、今回の作品が一番好きかな。
生と死をいろいろな角度で対比させている。正反対だけどひと続きであることを、上手く話の中で織り込んでいて素晴らしい。前にも書いたけど、暮らしの中にある人間同士のつながりの素晴らしさ、煩わしさの描き方も、違和感なく受け入れられる。
いまや人間同士のつながり自体を感じにくい世の中だもの。
そうそう、人間同士の繋がりというと、思うところがあるのです。
だいぶ前から気になっている事があります。
それは、電車やバスの座席について。
私が子供の頃は、できるだけ多くの人が座れるように、混んで来たら「詰めて座りなさい」と言われて育ったし、人が乗って来たら大人はみんな中腰になってサッサッと詰めて、後から乗って来た人が座れるようにしたものでした。
でも、最近、人が一人腰掛けられるには微妙な幅があって、後から乗って来たひとがその中途半端な空席の前に立つと、両脇の人は確実にそこを塞ぐように、隙間が無くなるように、座り直すんです。
すごく気になるんだけど、そんな風に思うのは私だけ?
おかしいのは私?
自分が座っていて、微妙に席に隙間がある場合、後から人が乗って来たら詰めて空間が大きくなるように座り直そうとするんですけど、横の人はあからさまに嫌な顔するんです。「なんで詰めるんだよ!こっちに寄るな」って。だって、詰めれば前に立つ人座れるじゃん。多くの人が座れれば、立っている人が減って、電車自体が空くじゃん。
おかしいのは私の方でしょうか?
ぎゅうぎゅう詰めは誰だって嫌だけど、座れる人の席まで奪って座るっておかしくない? 誰も何も言わなければいいの? 気づかなきゃいいの? 気づかない振りをしてませんか?
分け合えるものなら分け合ってもいいんじゃない?
ここまで考える私がおかしいのでしょうか?
でも私が子供の頃はこんなんじゃなかったよ。
自分が杖をついて出勤していた頃、吊り革につかまるのに席の前に立つと、一斉に座っている人が眠りにつくこともあった。譲りたくないのも分る。みんな疲れているもの。でも、わざわざ空いている場所を塞ぐまですること無いのになあ……。
ときどき世間を見てると、本当に本当に悲しくなります。
自分が老人になった頃はどうなるんだろう。
怖いです。
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