気持ち、わかる
きっと最期は君といたい
平気な顔の僕の「泣きそうな孤独」を
君はまだ……僕を
……君は知らない
〜 KAN 「君が好き胸が痛い」より
表記は歌詞カードからではなく、私が耳から起こしたもの。
この曲を聞くと「こんな風に誰かに想われてみたい」という気持ちと、「この気持ち、わかる」という思いで苦しくなる。
男性の想いと女性の想いって、そんなに違わないんだろうね。
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コメント
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こんばんは。
KANさんが、そのような詞を書いているんですね。
探してみます。
「泣きそうな孤独」か…、そういう気持ちなんだろうなぁ。
できれば、喜んで受け入れることができるような人生にしたいけど。
投稿: 宇助坊 | 2008年9月 1日 (月) 21時47分
>宇助坊さん、こんばんは。
この歌詞、いろいろに解釈できるのです。
ただ、私には単なるラブソングには聞こえなくて。
一番大切な人に会えるつかの間の時間をこの上もなく大切にしている。だけど、本当の意味で未だわかりあえない気がする。わかって欲しい、でもわからなくたっていい……
そういう揺れを感じます。
つかの間、相手を楽しませるために、楽しい時間を作る自分だけど、日常の自分や、唯一の心を許せるこの時間でさえ、自分をさらけ出すことの出来ない悲しみも理解してもらえたら……でも、理解してくれなくてもこの愛しい時間だけでも充分。
だけどだけど。
祈りのような、ひとりの人間としての小さな願いを歌っているようで、切ない。
そんな複雑な感情が「くじけそうな孤独」や「泣きそうな孤独」と歌うKANさん。
宇助坊さんのおっしゃるとおり、「孤独」に支配されずに、孤独な感情を有意義な何かに変える「燃料」にできるような強さが欲しいです。
チャンスがあれば是非お聞きになってみて。「愛は勝つ」と同じアルバム「野球選手が夢だった」に収録されてます。
投稿: 更紗 | 2008年9月 1日 (月) 23時52分