平和の祭典
昨日の夜はダラダラとオリンピック開会式を眺めていました。
素直に綺麗だったし、同じアジアの人間だということを実感できるような、共感できる演出だと感じていました。
今回のオリンピックは開催直前までテロが起こったり、環境問題だったり、平和の祭典にはふさわしくないようなニュースもたくさん流れていましたね。
先日もブログに書きましたが、今日は長崎原爆記念日です。
午前11時2分に投下された爆弾は一瞬で約75000人の命を奪ったのです。広島に比べて被害を数字にすると長崎は規模が小さく感じることがありますが、それは地形の関係で被害が集中したせいだと言われています。
広島、長崎と原子爆弾を投下された私たち日本は、こうして復興し、発展して今があります。
被爆国として凄惨な歴史を刻みましたが、日本の医療現場で放射線治療の領域が発達したのは、被爆によりその治療を行った結果だとも言われているようです。……自分がその放射線治療を受けることになるとは、そのときは思わなかったのですが。
両親はふたりとも戦前生まれです。
第二次大戦の前に生まれ、おかげさまで今も元気で生活しています。
ふたりに子供の頃の話を聞けば、戦争の陰がひたひたと迫って来たなんてことはあまり聞きません。話のなかで戦争は唐突に「その頃はもう戦争が始まって」というような言葉でくくられているのです。
そんな程度なんだと思います。
そのときの年齢によるんだと思いますけど、私たち一般の人間は、大きな時代の波に流されているだけなのです。当時のほとんどの人は、普通に生活していて戦争に巻き込まれて、もうどうしようもなく揉まれて行ったのでしょう。戦争でさえそうなのだから、環境異常に関してはほとんど気付きようもなく巻き込まれて行くしか無いのかもしれない。
今の生活がこのまま死ぬまで続くなんてことは、ほとんど幻想に近い。
だから今何をやってもいいということではなくて、今を大切に愛おしんで生活したい。そして過去や歴史を大切に教訓として、どんどんとやってくる未来という形を、少しでも良く出来たら、何も出来ないのならせめて意識だけでも持っていたい。
4年に一度のオリッピック。
夏季も冬季も、ずっとこの先も大勢の人が楽しんで、アスリートの方々が精一杯競えますように。
長崎原爆記念式典。土曜の今日は久しぶりにテレビの前で式典に参加しようと思います。
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