原爆の日のつぶやき
自分の小さい頃、夏休みの間に戦争を考えさせる日が必ずやって来た。
広島原爆投下、長崎原爆投下、終戦記念日。
テレビでは戦争をテーマにしたドラマが必ず放送された。
両親は戦前に生まれているので、家族の間でも戦争についての話を聞かされた。
記念式典が放送されるNHKにチャンネルを合わせ、テレビの前で黙祷をしたりした。
今日は広島に原爆が投下された日。
でも以前にくらべたら、そのことがニュースで取り上げられる枠はずっと小さくなりました。
63年前に広島が死の街と化していたなんて、今の子供達に言ったところで理解できようも無い。私だって想像できない。
ただ、ますます遠くなって行く記憶に少しばかり不安になることもある。
平和だからこそ戦争の記憶を消さないように。本当に情勢が不安になったら、そこに理屈や道理なんて通用しない。生きるか死ぬか、負けるか勝つか、それが戦争らしい。正義も悪もない。勝てば官軍なのだ。死んだら終わり。負けたものに発言権などない。理不尽の全てを集めたのが戦争。
あれが嫌、これが嫌、自分が思い通りにならないのは社会のせい。自殺したいから誰かを道連れにしたかった……なんて言っていられる世界に生まれることが出来たのは、もの凄くラッキーなんだ。ほんの60数年前にもし生まれる順番が回って来ていたら、日本人であったとしても地獄のような毎日が待っていた。
上見たらキリ無し、下見たらキリ無しだけど、自分が立っているこの大地で、ほんの60数年前にそういう時代があったことを思ってみて。
古くさい、昔のこと、バカバカしいなんて思わないで。
平和な世の中になって欲しいと思って亡くなった人たちがたくさんいたことを。その人がいてくれて今の世の中があることを。そんな時代から這い上がって、今の私たちがいることを。
私たちのおじいちゃんか、ひいおじいちゃん位の時代はそんな時代でした。
人はひとりで生まれて、ひとりで死んで行くけど、自分がこの世に生まれるためにはその前に何代もの繋がりがあって、それぞれの時代を先祖が駆けて来たのです。戦争について考えることが、単につらい時代を耐えたとか、自分達の今の物質的に恵まれた環境を実感するために伝えるのではなく、自分に繋がる時代や血を実感するきっかけ………そんな風に考えれば、もっとその時代を身近に実感できる気がします。
長崎原爆の日、終戦記念日もまた巡ってきます。
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コメント
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原爆の日、毎年考えさせられます。
長崎に生まれなかったら、もしかしたら、何も考えないで過ごしていたかもしれません。
命を大事にしなければいけないということ。
人を大事にしなければいけないということ。
自分が生きている今を本当に幸せだと感じることができる日でもあります。
世界から戦争がなくなる日を心から願ってやみません。
投稿: ぽんすけ | 2008年8月 8日 (金) 12時27分
>ぽんすけさん、おはようございます。
体調はどうですか? 毎日暑いから大変でしょう。
無理しないでね。
ぽんすけさんは長崎出身なんですよね。
やはり他県出身者よりも感慨深いものでしょう。
長崎に修学旅行へ行きましたが、被爆の歴史とともに、祈りの街である印象を強く受けたのを覚えています。
世界にはまだ争い続ける地域があり、平和の祭典を開催する国もあり………昨日はそんなことを思いながらオリンピック開会式を観ました。
被爆国は私たち日本が最初で最後の国であって欲しいものです。
投稿: 更紗 | 2008年8月 9日 (土) 09時27分