独り言
子供の頃の私は、自分の思い通りにならないとよく癇癪を炸裂させて、母を困らせていた。
将来の夢は口では色々言っていたけど、本心は「人名事典に載るような人間」だった。
ホント、嫌な子供だ。
大学で文学やってたけど、物書きになりたかった理由の一つには、在宅勤務だし、妻と母親業も一緒にこなせそうだという気持ちからだ。
結局今は物書きではなく、妻でも母でもない。
人名事典に載るような事もないだろう。
他人に自慢できる履歴もなければ、美貌もないし、学歴もない。
20代の頃は自分の置かれた境遇に苛立って、これから先の将来に不安を抱いてもがいていた。
病気して、社会復帰して、肉体的にも精神的にも疲れ果てた時期があって、その中で「もう消えてしまいたい」と考え続けていたけど、じわじわと上昇し、その中でももがきながらいろいろと考え、解釈して、自分なりの答えを出してきて、なんとか一区切りついた時にまた病気が再発して入院になった。6年後だ。
今考えるとこの時の入院は一区切り着いた時期のテストだったのかな? と思う。
つらくてつらくて仕方がなかった時期を抜けて、あの頃の私は肉体的には好調だった。「もう病気にはならないかも」と漠然とした自信を持っていた。だから「再発です」と言われたときには落胆したし、一生この病気とは縁が切れないかもと思った。今でも思っている。
でも20代最後の年に「悪性だからすぐ入院して」「以前に良性の腫瘍を取っているけど、そのとき既に悪性だったのかも」と言われたときよりはずっと落ち着いていた。取り乱す事もなかった。
再発がテストだとしたら、まあ合格点を取ったのだろう。
これから先も生きていれば、いろんな事があるだろう。嫌な事が多いと思う。悪意に満ちた人と付き合って行かなければならない場面もあるだろう。誰かにそばにいて欲しいときに、誰もいない時期を長く過ごさなければならない事も出てくるかもしれない。
私を支えるのはなんだろう。
結局自分しかないんだろう。
でも自分を構成する中に、思い出とか、知恵とか、勇気とか、とても意地の悪い部分とかそういうものがたくさんあって、そういう要素をどうやってコントロールするかという事は、あのつらい時期に学んで、これからも学んで行くのだと思う。
病気になって良かった事なんてない。
ならない方がいいに決まっている。
でも私には絶対に必要なプロセスだったと思う。
他人から「いつも幸せそうだね〜」と嘲笑まじりに言われた日の夜などは、よくこんな事を考える。
でも他人から不幸そうに思われるよりは、嘲りが混じっていたって「幸せそうだ」と言われた方がずっといいに決まっている。
幸せかどうかは自分が決める。たとえ最悪の場面でもHappyを見つけられる、そういう術を磨いていこう。
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こんばんは。
「独り言」については、コメントはふさわしくないのでしょうね、きっと。
でも、更紗さんの常に前向きな生き方は、私にとって励みになっています。毎日、このブログを訪問し、物事に対する感度の高さに敬服しています。
そして、更紗さんの”よりよく生きる”という強さを分けてもらっています。
そんなことを知ってもらいたくて…お邪魔しました。
投稿: 宇助坊 | 2008年5月17日 (土) 00時01分
>宇助坊さん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
前向きですかね。自分は前向きになりたいと思って一日が始まって終わる感じ。
悲観主義者だから小さな幸せを見落とさないように掌に拾い集めて、最後にそれを数えながら布団に入りたい、という方が正しいかも(笑)。
自分が頼りなくてどうしようもない人間だということをずっと認めたくなくて苦しかったのが、丸ごと受け入れられるようになってから、楽になったのかな。
次は、自分の力ではどうしようもない問題に直面したときにも、それを超えられるしっかりした力と意思が欲しい。
例えば、戦争とか天災とかに直面したとき。今、四川省の大地震のニュースを見ていてもそう思います。
そんな大事ではなくても、降って湧いたような近所のトラブルなどに巻き込まれても、人の幸せは一瞬で不幸せになって死んでしまいたくなるもの。そういう弱さを克服するための、幸せ探しなのです。
頼りないもんですよ。
投稿: 更紗 | 2008年5月17日 (土) 09時42分