光市母子殺害事件
「被害者も回復する時間が必要なんです」
数年前、愛する奥様とお嬢さんを奪われた本村洋さんが涙ながらに言った言葉。
今日、光市母子殺害事件についてのニュースを観て、憤りを通り越した喪失感を感じるとともに、人が人を裁くことの難しさを突きつけられた気がしました。
私が被害者やその家族の立場なら、間違いなく極刑を望むでしょうし、この事件の被告人にもそれがふさわしいと思う自分がいます。でも一方で、たとえ極刑となっても、この被告人は一体自分の罪がどれほどのものか自覚するのだろうか……と思ってしまうのです。その自覚が無ければ「死を持って償う」とは言えないのではないでしょうか。極刑とはなんでしょうか? 罪を償うための極刑も、被告人がその罪を意識しなければ何の意味があるのでしょうか?
………次から次へと疑問が湧いてきて答えに近づく事もできません。
人の心は深く、底がありません。肉体には限りがありますが意識には限りが無いのです。誰の心にも悪意と善意が存在します。その境目は? 小さな悪意があふれている昨今、あまりにも悪意に触れてしまったときは、それに自分が毒されてしまってやいないかと怖くなります。
殺人者と呼ばれる人にも、赤ちゃんの時があって、無垢な微笑みを浮かべていた時代が必ずあったのに。
どうしてそうなるのでしょうか?
最近では福島の母親殺人のニュースを聞くたびに、気分が悪くなるほどの嫌悪感を抱きます。それでいて目が離せません。
自分を産み育ててくれた母親を殺し、首を切断し、自分を優しく抱きしめて守ってくれたその腕を切断し、塗料で白く塗る……想像を絶するほどの凄惨な光景です。憎しみが増大してそれほどの行為を行ったというのではなく、ただ人を殺してみたかった、殺すのは誰でも良かったなんて。
誰の心にだって、私の中にだって、狂気や悪意がある。
人間の心の最も汚れた暗い淵を覗き込んでしまうような嫌な事件。
そんな事件がたくさん起こる難しい世の中に、私達は暮らしていているのですね。
明日は自分が、家族が巻き込まれるかもしれません。
怖くなります。
だからこそ考えなければならないのかもしれません。
試されているのかもしれません。
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