父母会だった
父母会といっても私は単に母を送る為の運転手役。
私には生まれつき障害を持った兄がいる。今年の春から兄は新しくできた公営の重度身体障害者施設に入所することになった。将来の事を考えて両親は入所希望の書類を出したが、他にも大勢の希望者がいるのでよもや入れないだろうと思っていたらしく、入所OKの返事が来てから逆に慌ててしまっていたようだった。心の準備も不十分なままに入所の日を迎えてしまったというのが本当の所だった。
入所から2ヶ月以上が経つが、兄はまだ施設の生活に馴染めないようだ。そりゃそうだよね、健常者が集団生活を始めても慣れるの大変なんだから、今まで我が家の生活だけしか(ウチは介助の手を公的にも私的にもほとんど入れていなかったから、ホントに身内で面倒みていた)したことのない兄は、物凄くつらいはずだ。しかし、機嫌が悪かったり、体調がすぐれなかったり、イライラしているのか大声出して暴れたり(っていっても動けないから、自由のきく手を思いきりのばして届く範囲のものを掴む、投げる程度だが)で、介護者の方々にはホント申し訳ない気持ちでいっぱいです。
…たまにはあの優しい『ニヤ〜』という笑い顔をみんなに見せて欲しい。
かなり年が離れているけど、兄は若作りなので施設に行くと私が年上にみられるんだよね…ほとんど寝たきりだから大きな赤ちゃんみたいな感じだしね。
その施設で父母会があったのです。いつもより早く施設へ出発しました。今日は同じく入所している女の子の誕生会が開かれました。御家族からのメッセージが読まれましたが、もう胸が熱くなってしまい、オイオイと泣いてしまいそうで、自分をコントロールする為になるべく聞き流すようにしてしまいました。20才を迎えた彼女がみんなの前に座って、お誕生日の歌をみんなで歌ってろうそくを吹き消しました。誕生日ということを理解していたかはわからないけど、なんだか興奮しているようでした。兄もいつもと違う雰囲気に興奮しているようで、時々暴れるので、配られた飲み物をこぼさないように必死になってしまったよ。
施設へ行くと(っていうか毎週末行っているが)、なんだかみんなの表現できないパワーが充満していて、それに充てられて疲労してしまう。強いお日さまにあたった後の感じに似ているのだ。そして、いろいろと考えさせられてしまう。…この気持ちはうまく整理できないから、文章には出来ないけど。
でもいつも思うのは、入所者はもちろん、父兄、職員の方々が元気で笑顔でいられますように、ということ。常に周りからの支えが必要な障害を持つ者は、周囲の人間の幸福度に自分の幸福度が左右されてしまうということを強く思うようになったからです。
施設からの帰り、久々に母とそのまま買い物に出かけました。たまには母も息抜きしないとね。そして母にがんばり過ぎないようにと何度も話をしました。今はただ兄が早く新しい生活に慣れますように……ということ。
あ、そうそう帰り道、右折しようと交差点の真ん中にいたら、突き上げるようにクルマが揺れた。凄い地震だったよ。だって、後ろのクルマに何度もぶつかられているのかと思ったくらいだったんだから!
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 明けましておめでとうございます。ココログがhttps対応になっていた(2020.01.03)
- 目覚めよの声が...(宮田八郎さんのドキュメンタリーも観たよ)(2019.11.09)
- 夏休み最後の日(2018.07.16)
- だめかもしれない……自分で自分の人生を切り開く(2018.03.31)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント