病気になって入院していたとき。手術までの間は情緒不安定で、いろんな事にナーバスになっていました。検査の結果が一通りでるまでは更にピリピリしていて、消灯の後、暗い部屋のベッドの上で悶々と考えたり、泣いちゃったりしてました。
その中で何回か考えた事。なぜ、がんは私の体の中の細胞の一部なのに、コントロール制御不能で増えて、他の細胞や臓器を侵し、宿主である私の命そのものを脅かすのだろうと思っていました。そして、宿主を地球に例えると、がん細胞は人類に似ていると思うようになったのでした。
「アース」を観終えたとき、正直、感傷的な感情は湧きませんでした。
野生動物の生活はシステマティックで、感情とはかけ離れた秩序で動いているだけに感じたのです。弱肉強食、お腹が空けば生きる分だけ狩りをして相手の命を奪って食べて、失敗すれば死を待つだけ。自分の周りの環境が荒れ、それに順応したり乗り越えられなければ死が待っている。そこには結果しか無いように感じるほど厳しい世界でした。
「風邪の谷のナウシカ」のワンシーンに、風の谷の村人が危機にさらされ、村の子供達が長老の「ババ様」に『私たち死んじゃうの?』と問いかけると、ババ様は『さだめならね』と言います。多感な時代にナウシカを観た私は「あっさり言ってもらっちゃ困るんじゃ!」と思いました。
なぜか「アース」観てたら、ババ様の「さだめならね」という言葉が浮かんで来ました。
野生や自然に娯楽はありません。途中で紹介される熱帯に住む野鳥のダンスも、繁殖のための求愛ダンスなので必死です。「生か死か」はまるでデジタルの「0と1」の二進法のようですらありました。
動物の生活に比べれば、植物の世界は幾分緩やかに見えました。緊迫したシーンが続く中で映し出される気候の変化や、地域によって変わる風景の様子は、気持ちを緩めてくれました。赤道直下のジャングルは地球の面積に比べるとほんの少ししかないのに、地球上の生物の多くの種類がそこで暮らすという事実。北に広がる針葉樹林帯は、春になって緑を増すと地球上の酸素の濃度が上がるほどのパワーを持つ事実。同じ星で暮らしていても、ほとんどこれらの事実を忘れています。
忘れて好きなように生きていても地球は、そういうわがままを黙って受け入れてくれるでしょう。たぶん、地球の命を縮めても。
地球に優しい、なんて実はあり得ない。エコロジーに真剣に取り組むのは、本当は自分たち人間のためだ。動物も植物も、仮に生きて行けない「事情」があれば、「それがさだめ」と死んでいくだけだが、人間はそうはいかないなのだ。
アースの映像はとても美しかったけど、それにもまして力強さと生命力の波動みたいなものを感じました。私たち人間は、この先も長くここ(地球)に住まわせてもらいたければ、死ぬか生きるかの覚悟くらいでエコロジーに取り組まなければいけないのかもしれません。自分たちのために。
生か死かで生活する動物たちは迷いが無いけど、人間はいつも迷って揺れています。たぶん、もっと環境が厳しくなればなるほど、迷ったりするんでしょうね。
感情に支配される生き物だから仕方ないとは言え、やっぱりもっと腹を据えて地球のためじゃなく、自分たちのために努力すべきなのだ。
渡辺謙さんのナレーションでは「今ならまだ間に合う」と言っていたけど、私は実のところ間に合わないかもしれないって思いました。もし、本当に何らかの形で最悪のシナリオが人類の前にやって来たら、あのシロクマのように私たちはゆっくりと目を閉じられるのでしょうか?
絶対できないよな……
最近のコメント