(画像はクリックすると拡大します、が今回はピンぼけ・手ぶれが多いです……すみません。)
土曜日に「記念艦 三笠 」に行ってきました。
入場してすぐに母は上を指差した。
私はZ旗というのも知らなかったし、日露戦争でこの旗が掲げられた事から「Z旗を揚げる」という慣用句になっている事も知らなかった。
小学生の時に来たきりで、母も「ん十年前」に来たきり。私の記憶は曖昧だし、母の来た時とは展示の様子が全く変わっていたらしい。
甲板上にある計器類などは固定されている物が多いものの、ほとんどがそのまま。覗いたり、一部は動かしたりできます。

補助砲は動かなかったけど角度を変える取手はグルグル回せたりした。

ニョキニョキと補助砲が。これらがバルチック艦隊をドーンと撃っていた本物です。

艦尾の主砲。蓋がしてあるところが何とも……。
艦橋には入れませんでした。

ピカピカ。カッコいい。
艦橋の上にあるここで東郷平八郎始め秋山真之達が指令を出していました。
立ち位置がプレートで張られています。

左下が秋山真之。その右が東郷総司令官。

船首を見るとこのような眺め。
この日はお天気がよかったので景色がきれいでした。

猿島もよく見えます。
とは言え戦艦だったのです。日露戦争ではこの船で多数の方が戦死されています。そしてこんなプレートも貼ってあるのです。

生々しい。
しかし母が子供の時に見学した時は、殺人現場のように戦死の様子や、船の損傷箇所がペンキでマークされていたそうです。衝撃的過ぎる……。
甲板の一部には、当時が身近に感じられるこんな展示も。それにしてもこのロープは?

戦争です。弾片が雨霰のように降り注ぐ……想像つかない。
当たるとこんな風になるらしい。
砲台が当たった部分の三笠の鉄板を使って作った灯籠。

鉄板がめくれ上がるわけで、人間なんて木っ端みじんだよ。
内部に進むと生活感のあるお部屋も。

左の棚には食器も入って展示されていました。

お風呂が意外と大きく感じました。
トイレが凄く小さい。
洋風のバスタブに日本風の木製の蓋がミスマッチ。

素敵な灯りが下がっていました。
この他にも会議に使われた立派なお部屋や、東郷平八郎が使用したお部屋や家具が多く残されていて身近に眺める事ができます。
明治時代の戦争に使用された船と考えると、凄い年月が経過しているんですよね。

艦長室にまつられていた神棚。
イギリスで作られた船の三笠。随所に日本文化と融合したような物もありました。

クロノグラフ。下の箱の彫り物が日本的で興味深いです。
大きな展示室には、東郷平八郎やその他有名な乗組員の方々の品物や書簡など、そして船に当時設置されていた物なども展示されていました。
東郷平八郎が着た軍服など。一番奥は礼装時の服。勲章を掛けるための生地と同色の紐が左胸にたくさんありました。
私の身長程ありそうな菊の紋章。船首に掲げられていた実物です。
木製で作られていました。近くで見るとなぜか怖かったです。
そして怖かったのがもうひとつ……
ある展示室を覗いたら等身大の人形が突然現れ息を呑みました。
人形の再現はこれだけでしたが……
ピンぼけですみません。
この階段を最後に上がっておしまい。
なんとこの階段、東郷指令長官専用の木製階段だったそうです。
もう日が傾いてました。
少し前にはちょんまげ、和服、帯刀で生活していた日本男児が、世界屈指の艦隊に戦争を挑んだ。苦悩の決断、見切発車、大いなる勘違い……いろいろな解釈があるでしょうけど、この戦争があって、勝利し、その後第二次大戦があり、高度経済成長、バブル崩壊……今、私たちはここに居る。
長く続く不景気とか、将来に希望が持てないとか、国力が中国に抜かれるとか……混沌とした今に生きている私たち。大人になってこの船を見るといろんな想いが湧きました。
東郷元帥の銅像に迫る夕闇。
お昼ご飯もまともに食べなかった為、母とふたり、〆はお魚を頂いて帰りました。
地魚丼。
……んまぁ。
やっぱり平和が一番だ、と最も感じたのは、実はこの時だったかも。
記念艦 三笠 ホームページはこちら。
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